みにくい景観百選

 先日、朝ウトウトしながらラジオを聴いていたら、どこかが日本の醜い景観百選を選定するというようなことをいっていた。大賛成だ!

 今、自分の住んでいるまちがきれいだと胸を張れる日本人がいったい何人いるだろうか?

 私の大好きな街、銀座でさえも下品で醜いものがイッパイある。

 制御されていて調和が取れていて上品で活気があって・・・。そんな場所は残念ながら今はまだテーマパークにしか無い。でもあれは所詮頭で考えて作られた場所であって人々の生活から生まれた本物の街ではない。まがい物。フェイクである。
そんなフェイクな場所にわざわざ高いお金を払ってまで大勢の人が訪れると言う事はいかに多くの人が美しい景観に餓えているかということの証明でもあるだろう。
 
 佐倉市は昔ながらの町並みが残っているということで、古い建物を勝手に建て替えたりすることが基本的にできないらしい。佐倉の旧家に嫁いだ友人は、家が古くて不便だとぼやいていた。京都でも同じようなことがあるらしい。しかも工事中に遺跡などが出た場合、調査までしなくてはいけないとか。
 しかし、そういう不便や負担をしているからこそ、大勢の人がその美しい街を観光で訪れるのである。美しい都市の威厳はそこに住む人の精神がにじみ出て醸し出されるのだろう。都市の美しさはその都市の民度をあらわすのかもしれない。

 今私が住んでいる千葉。千葉のまちが私をあらわしているとしたら悲しくて泣きたくなる。歩道がガタガタ、何種類ものガードレールがキレギレに設置してある。目立てばイイだろうという下品な看板。ロゴのでかでかとはいった自販機。
銀行のつまらないショーウィンドウ。ガタガタでバラバラ。調和やバランスが取れていない。色々な人たちの縄張りがくっきりと見える街。町中に見えない境界線がいっぱいある。醜いエゴのぶつかり合いがそのままカタチになったようだ。
 1か所ごとにみればきれいな場所もいくつもあるのだから、全体としてうまく調和させればいいのに、間にたくさんよけいなものが挟まっているのだ。

 世界の有名な観光都市だって最初からきれいだったわけでは無いだろう。都市の美観に価値があるということに気付いた人たちが努力していま現在の美しさを手に入れたに違いない。

 都市の美しさは放っておいては生まれないと言うこと。都市を美しくするには不便もあるということ。しかし美しい場所にはそれだけで価値があると言うこと。そういうことに多くの人が気付いてアクションを起こすとき、日本もいまよりかなりマシになるのでは無いでしょうか???

 私も自分の家のまわりから奇麗にしてゆこうと思う。隣近所と調和を考えて通り全体が奇麗なようにしてゆきたい。
 今はさしずめ薔薇小路といった趣になっている。