表現やモノつくりのジレンマ

最近思う事。人のつくり出すものはその風土から切り離したら輝きを失ってしまうのではないかという事。

 だからこそ実際にその土地を訪れる旅行に意味がある。

 人が生み出すものはその場所の空気や光や街の中にあって初めて本当の魅力が出るではないのかな。

 モノでも音楽でもある場所にいる人がそこに暮らしつつヒリダしたようなものが本物といわれるものなんだろう。

 庭作りでもたとえばイングリッシュガーデン風にするにしても精神はイングリッシュガーデンでも日本の風土に合った植物をうまく使わないと管理が大変な事になってしまう。

 生活も同じだ。靴を履いて洋服を着てベッドに寝ても気候風土に合った暮らしをしなくては西洋文化の猿真似になってしまう。

 ビスクドールを作っていて、何故日本人の私がビスクドール???という疑問が湧いて来る事がある。
 二十世紀の日本に生まれた私が、十九世紀のヨーロッパの人形を再現している。そこに必然はあるのか?
 私の先生もリプロダクションを作る傍らオリジナルも手掛けているが、やはり和の人形の方向に向いているようだ。

 和の人形といっても、私は着物を着た事もなければ畳の生活もした事がない。
 江戸からの伝統が明治政府によってばっさりと切断され、西洋風の生活になってから120年あまり。
 日本人もそろそろ西洋コンプレックスから解放されて、グローバルかつオリジナルな生活模索しているようにも思える。

 自分の根本にちゃんとつながった生活が出来るようになって、そういう生活をベースにした人形がいつの日にか作れると良いなあと考えている。