私は幼稚園の役員会のメンバーなのだが、先日卒園アルバム作りについて話し合いをした。
その中の一人に、いつも話し合いをひっくり返してしまう人がいる。いつもいつも嫌な感じがしていて、どうしてかなとさっきから鍋を洗いながらかんがえていた。
その中の一人に、いつも話し合いをひっくり返してしまう人がいる。いつもいつも嫌な感じがしていて、どうしてかなとさっきから鍋を洗いながらかんがえていた。
彼女は誰かの意見を否定する時に、「~って~じゃないですか~」という語尾上げの今時の調子で切り出す。その前提自体が突飛な事も多いのだが、なんとも救いようのないのが最後のとどめに「きっとクレームが来るとおもうんですよ。」としめくくることだ。仮想の敵を仕立ててその人の良いそうな意見をもってくるのだ。そうなってしまうと反論のしようもないし、会議の流れがとまってしまう。悪いと逆流状態だ。
今日はもっと少人数のメンバーでトテモ気持ちの良い話し合いができた。なんでだろうと考えたら、今日のメンバーは「自分ならこういうのが嬉しい」「自分だったらこうする。」と良い意味で自分の意見を行ってくれていた事に気付いた。
もしかしたら誰かに文句を言われるかも・・・なんてかんがえていると、何を作るにしても無難なものになってしまう。
自分でない誰かの望みを知るなんて本当にむずかしいことなのだから、素直に自分の望みに従ってつくるほうがいい。
夕御飯だって普段は自分の食べたいものを組み合わせると上手く行く。
巷にあふれている、今一つ魅力のない商品もきっと作る人が自分のためじゃなく「こういう人に買ってもらおう」と考えて作ったものなのではないだろうか。だからありふれて無難で魅力がない。マーケティングってやつ?
「おれはこういうものがほしいんだ~っ」という熱意で作られたものは、万人向けではないかもしれないけれど、きっと熱狂的なファンができるだろう。
今日はモノを作るにあたっての大事な心構えを学んだ。